エッセイ

泣けるようになったら、少しは楽になるかと思ってたんだ。



子供の頃から自他共に認める負けず嫌いだ。

だけど根本は穏やかな性格なので、静かに闘志を燃やしていて、
あまり見た目にはメラメラギラギラしていなかった。

小・中学生の頃は特に、どちらかと言うといつのまにか誰かの目の敵(ライバル)に昇格していて、
内心うんざりしていた。

でもその頃通っていたお習字教室で、何回書いても思い通りに筆が運べずひっそり泣きながら書き続けたり、
生まれつき体が柔らかい人に憧れて毎日ストレッチをして追いついたり、
そういう自己完結型の闘志は常に燃やしていて泣きながら頑張っていたのだ。

我ながらコツコツの努力家だったなぁと思う。

中学に上がり、高校、大学と思春期を迎えて大人になって行く過程で、
かつての努力家であり、明確に打ち込むことがあったワタシは消えていった。

小学生の頃までは、気持ちにストレートで怖いもの知らずであっけらかんとした性格だった。

その頃は毎年そこそこ長期戦のケンカ(らしきもの)もやっていたけれど、
今考えると人間関係に悩んだことは一度もなかった。

多分絶対的な味方がいたからだし、自分の人望もあついとそこそこの自信があったんだろう。


それが、中学に上がってからよくある「女子のグルーピング」に乗り遅れたところか崩れ始めて、
自分の悩みが「人間関係」という漠然としたもの、だけれど壮大なものに変わった。

自分がどうしたら解決する、という明確な答えが得られない壁にぶち当たり、途方にくれた。


悔し泣きして、頑張ってやっていたことが、
立ち向かう相手が大き過ぎて、どう対応したらいいか分からず、泣くことすら出来なかった。
というよりも、本当にわからな過ぎて泣けなくなったというのが正しいかもしれない。

photo|ぽんず


中学から大学まで、人との関わり方、距離の取り方に悩み続けた。
ついでに将来や夢についても焦りだけは出てくるのに行動が伴わず、漠然とした重荷だけが増えていった。


その間、泣くことも、人に相談することも出来ずに、
たたただ、ひとりで全部このカラダの中に閉じ込めて気持ち悪いくらいにぐるぐるぐるぐる。


社会人になってからも、悔しさや苦しさに泣きたくなるときはあったし、
泣いてしまいたかい時もあったのだけど、ダメだった。

そんなワタシがここ半年ほどで泣けるようになったのだ。
これは成長した、と言っても良いのではないだろうか。

何故泣けるようになったのか。

やっぱり立ち向かうべき相手は、変わらず漠然としていて壮大。

でもひとつ違うのは、周りに同じような仲間ができたことかもしれない。

そして、そこからぽーんと雲の上にポーンと突き抜けていく人が出てきたこともあげられる。

それは本当に、とても嬉しいことではあるけれど、同時にとても悔しくもある。

でも、そのおかげで目標が明確化した気がするのだ。

これまで漠然としか見えなかった未来にたどり着けるかもしれないという希望、
そしてこんな風になりたいのになれない自分、
突き抜けていく仲間たちとワタシの違い。今の自分に足りないもの。


それらがわかったからこそ、夢が現実的になったからこそ、具体的な頑張りどころが見えてきた。


だからこそ、悔し泣きできるようになったんじゃないかと思う。


いつか、泣けたらもっと楽だろうに、と思っていた時期があった。
実際は泣いたところで問題は解決しないし、とても苦しいと最近知ったよ。

でも泣けることによってひとつ吐き出し口が見つかったのは、少し嬉しいのも事実。


まだまだ夢には遠いかもしれないけれど、素直に悔しいと出せる気持ちを大切できたら、と思う。

願わくば近い未来に目標が達成出るように、自分が行動を起こしてくれますように。

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kicchan
夢を夢で終わらせない。 シンデレラストーリーは自分でつくる! 旅とお洒落と写真を通して そんな生き方をシェアしたいです。